九州ブルトレ最後の寝台特急となった、「はやぶさ・富士」号。全盛期には、東京-西鹿児島(後に熊本まで)がはやぶさ、東京-大分を富士が結んでいました。

 

関東・関西方面から九州各地へ直通する列車であることから、「九州ブルトレ」として親しまれていました。

 

さて、今日は、2009年に廃止を迎えることとなる「富士・はやぶさ」の前身、はやぶさ号牽引機、2世代のイラストを掲載です。

 

1969年に登場した貨客両用電気機関車EF65 1000番台(PF)、前年の1968年に登場し、1985年ごろから「はやぶさ」を牽引するようになった強力電気機関車EF66。

 

はやぶさ号は、遡ること1958年、先に登場した櫻号、きりしま号に次ぐ第3の九州向け特急として登場しました。きりしま号の姉妹列車である夜行急行「さつま」を格上げする形です。

 

1960年には、走るホテルと称された初代「ブルートレイン」20系客車を用いた編成へと変更、寝台特急としての形が出来上がっています。

東海道・山陽新幹線開業後となる1975年には24系24型客車へ、その翌年には24系25型客車へと代わっています。

 

蒸気機関車の全廃(無煙化の完了)を迎えた1970年代後半ごろには、大人も子供も一緒になってブルートレインに趣味の対象の目が向きました。

 

これを「ブルートレインブーム」と呼びます。

 

ブルートレインブーム時代の写真を見ますと、EF65 500番台、本日の話題となったEF65 1000番台の牽引する姿が数多く見られます。

 

まさに、EF65 1000番台はブルートレインブームの真っただ中に活躍した機関車、あこがれの花形機だったといえますね。

 

1985年からは前述のとおり直流区間のメインを、より強力なパワーを持つEF66が担当するようになりました。流線形ともとれる傾斜した前面、特急列車のシンボルである「特急マーク」の形状をしたナンバープレート台座、縦目ライト。

寝台特急のヘッドマークの良く似合う機関車でした。もっとも、富士山の形状を模した「富士」号ヘッドマークが板についていたように感じます。

 

時は過ぎ、時代は交通の高速化を突き進むようになります。

 

高速道路網の整備、高速バス・航空機の台頭・新幹線の高速化は、利用客を奪い合うようになり、料金が割高で速達性のないブルートレインは衰退の一途をたどり始めます。

 

EF66率いるブルートレインも縮小へ。併結運行の道を選んだ列車とともに、ヘッドマークのデザインを替えながら最後まで活躍をつづけました。富士・はやぶさの併結は、富士号独特のヘッドマークが丸型へと変わり、往年の形状が失われてしまったことがどこか物寂しさを感じさせたものです。

 

富士とはやぶさが併結運用されていた末期は既にEF66での牽引となっていましたが、廃止間際の前年末ごろ、牽引のEF66に不具合が生じたため、代走でEF65 1000番台が担当した際には大きな話題を呼びました。それほどに、EF65 1000番台牽引の時代が懐かしく感じられたのでしょう。

アクシデントとはいえ、ビッグサプライズでした。

 

最後の九州ブルートレインとして活躍したはやぶさ。

そして、その列車を力強く牽引し続けたEF65とEF66。

 

どちらの機関車も往年のブルートレイン全盛期を往く、スターのような存在でした。

皆さんはどちらの「ブルトレ牽引機」に思い入れがありますか。

入力エリアすべてが必須項目です。メールアドレスが公開されることはありません。

内容をご確認の上、送信してください。

ITEM CATEGORY

ITEM RANKING

SNS