国鉄キハ181系気動車。1968年から72年までに合計158両が制作され、非電化区間のエースとして君臨した車両です。登場年の1968年10月の国鉄ダイヤ改正、いわゆる「ヨン・サン・トウ」に、名古屋-長野間の特急「しなの」号としてデビュー。

 

キハ80系気動車をベースとした車体に、急行型試作気動車キハ90系の走行機器を組み合わせ、国鉄量産気動車として国内初となる最強クラス、500PS級の大出力エンジンを搭載しました。最高速度も120kmとディーゼル車として、当時では国内最高速をたたき出しました。

 

外観は、前述のようにキハ80系をベースとする見た目となりましたが、前面に小変化が。

ライトケースが丸みを帯びたものから角ばったものへ、タイフォンとテールランプが一体型のケースへと収納され、電連装備に伴うよりスカート中央部分の切り欠きも相まって、縦長な印象の精悍な顔立ちとなりました。

側面まで大きく回り込んだパノラミックウインドウ、無機質なヘッド・テールライトをスマートにケースへと収めるあたり、その流麗な前面デザインには、現代にも十分に通用する大変美しいスタイルと申せましょう。

 

ほかに外見上の特徴といえば、先頭車の窓割とラジエーター。先頭車は、横長の側窓2枚分に渡る巨大な機械室を設置、車体の3分の1を占めるほどです。

また、中間車の屋根には全長に渡って、ラジエターが搭載されている点も特徴的です。

 

 

 

特急しなのとしてデビュー後は、山岳路線を中心に投入されましたが、そもそもの登場経緯として、国鉄の列車高速化計画を前提としたダイヤ改正(ヨン・サン・トウ)に無理やり合わせる形となった為、完成されていない部分における不具合や故障が頻発。

 

もっとも、この後に行われた対策として、最大出力の時間制限や、後代の車両で培った整備経験、最高出力の制御により、これらのトラブルは減少していますが、高速・大出力エンジンを搭載した気動車車両を作るむずかしさを物語っているように思いました。

 

42年間にわたり山岳地域の特急型気動車として、日本全国(北海道と九州のほぼ全域を除く)で見られたキハ181系ですが、ついに2010年、JR西日本での特急はまかぜを最後に全車引退しました。

特急型気動車ということもあって、地方私鉄への譲渡や動態保存が叶わなかったことは残念ですが、しかしながら、一部車両はミャンマー国鉄へと海外譲渡され今も現役です。

 

国内においては、津山扇形機関庫とJR東海のリニア鉄道館にて展示・保存されています。

 

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