国鉄時代、急行型電車の代表格といえば、165系直流急行型電車を上げることができましょう。

 

国鉄初の直流急行型・新性能電車として登場した153系電車の後継にあたる165系。以前の記事でもふれたように、平坦地・暖地路線向けとして計画されていた163系よりも先に登場し、その使い勝手の良さ、形式を集約する意味合いから、急行型電車においては、この車両を基本とした車両が標準となっていきました。

 

さて、本日は急行型の標準として作られた165系の派生形式、167系をご紹介。

国鉄が開発した、”修学旅行専用電車”は先代の155系、いわゆる”ひので形電車”、これが専用車両としては初めてとなります。155系修学旅行専用車の開発は、第二次世界大戦後のベビーブームによる人口の急増が発端で、当時、当該世代の修学旅行輸送となると定期列車だけではたちまち追いつかず、急造の客車列車で臨時列車を仕立てるという状況でした。

 

しかしながら、長距離を走行する修学旅行需要に対して、不足する車両を全国方々からかき集めた結果、仕立て列車には、普通列車用の客車や戦前型の車両も混結されており、その居住性は著しく悪いものでした。

 

上述のような状況を改善するべく、また、増加し続ける普通旅客輸送列車との棲み分けを図る目的から、国鉄と東京都修学旅行委員会は専用電車の開発に着手。

国鉄技術陣のみならず、教師や保護者、生徒の意見を取り入れながら登場したのが”修学旅行用電車”なのです。

 

その後継車となる167系電車は、関東地区増発用、山陽地域用として65年、66年にそれぞれ合計52両が製造。

155系、159系電車のモデルチェンジ版というよりは、設計思想やコンセプトはそのままに車両形式だけが進化したような車両です。もっとも、それほどに初代155系の”修学旅行電車”としての完成度が高かったということの証左ともいえるのです。

 

167系修学旅行専用車は、155系・159系で採用された”修学旅行仕様”を踏襲したスタイルを採用しています。団体旅行に主に充当されることを想定し、乗降回数の少ない客用扉はドア幅を狭め客室空間の拡大に充てられました。座席は155系では2+3列のボックスシートでしたが、先代の159系にならい、2+2列のボックスシートに改められています。修学旅行臨以外の波動輸送に充当する際、サービスレベルを統一するという目的があったのかもしれません。

 

外観については、いわゆる”修学旅行色”といわれるカナリアイエローとライトスカーレットのツートンで、前面の塗り分けは113系湘南色のような金太郎塗ではなく、155・159系の塗り分けパターンが採用され、”修学旅行色”としての統一感を狙いました。ほかの車両にはない特徴的なカラーリングとなりました。

 

列車名も高校生向けが「わこうど」、中学生向けに「友情」、小学生には「なかよし」などと、専用に命名され、立派なヘッドマークが誇らしげです。

 

167系電車の登場はすでに東海道新幹線開通後の1965年、登場後、ほどなくして修学旅行輸送を新幹線にとってかわられ、その後は波動輸送用車両として第2の人生を歩みました。カラーリングも湘南色へと改められた姿は、一見165系、169系電車と見分けがつきにくいものでしたが、唯一、客用ドアが幅狭なのが修学旅行用電車であったことの証でした。

 

今の時代において、臨時・波動用車両というくくりではなく、”修学旅行専用車両”があったとは、と驚く向きもあろうかと思いますが、当時の社会情勢から鑑みるに、それら車両が登場するのはまるで不思議なことではなかったとも言え、ある意味当時の鉄道業界の”異端児”として、歴史に名前を刻むには十分な功績を残した車両と言えるでしょう。

 

次回は167系登場のプロトタイプとなった155系・157系電車についても取り上げてみたいと思います。

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